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近況報告

2011年7月25日00:21:08

 今日は、オノベーカリーです。

近況報告です。安芸津店のみんな元気で頑張ってますか。いや頑張っているはずです。

私は、今、福山のレオパレスで、このブログを書いています。

福山事業所開設から、約2カ月経過しました。

スタッフ総勢27名。みんなのおかげで何とかここまで。本当にありがとう。

まず、福山事業所の新スタッフを紹介致したい。

福山市を担当する井上氏。30歳で奥さんと1歳になる子を持つ、3人家族。

幼稚園の教員免許を持つ、イケ面販売員。まー子供に好かれる事。速くしなくては、次のお客様に行くの遅れるぞ。性格温厚で慎重タイプかな?

次に、岡山県井原市を担当する榊原氏。42歳で奥さんと二人の小学生の子を持つ4人家族。

元焼き肉屋の店主。又この人もイケ面で背が高い。コツコツマイペース型かな?自分の販売スタイルを速く習得してほしい。

次に、岡山県笠岡市、浅口市を担当する平谷氏。32歳で奥さんと3歳と数カ月の子を持つ4人家族。

ドコモの店長から、わが社へ転職してきた、又この人もイケ面。明朗快活タイプかな?

初心を忘れず、向上心をもって頑張ってほしい。

どうですか?この3人。それぞれ個性があって。この3人を例えば合体させれば、完璧な人間ができそうでしょう?

でも、完璧に成らなくていいんですよ。それぞれ長所があって、課題があって丁度いいと私は思う。みんなに言いたいのは、長所は伸ばせるから、常に課題を自分に掲げてほしい。

そして、秋口には、8台目。

そして、製造スタッフのみんな、まだまだこれから。近々安芸津に一旦帰る。いろんな話を聞かせて下さい。

さーーーて、もうひと踏ん張り。やるぞ!

 

 


新展開

2011年4月7日23:58:25

 こんにちは、オノベーカリーです。

このたび新たなる一歩を踏み出します。不安いっぱい。だけどどこか期待感いっぱい。

そんな心境でしょうか?描いた構想どうりにいくかどうか?

でも走りだしました。乗り遅れないようしっかりついてきてほしい。

 

まず、初めに安芸津工場責任者として、森主任の任命。素人から入社し、オープン時より早朝12時から一番に出勤し、捏ね担当として今まで大きなミスすることなく頑張り、ある時には、痛風に悩まされながらも松葉杖をつきながら休むことなく、文句ひとつ無くやりこなした功績を持つその責任感は、責任者しての資質は十分と思われる。今後の課題は、指導力と、捏ね以外の技術向上か?性格温厚で優しい人。捏ねは右に出る人なし。

次に、セールスアドバイザー(販売員)からこのたび製造に入る江口氏。彼の持ち味は、誰より細かい部分に気がきく性格で、衛生管理を特に期待したい。顔に似わわず几帳面(笑)。捏ねと配送係を担当。

それに伴い、ニューフェースとしてセールスアドバイザー大西氏が新しく仲間に加わりました。27歳独身男性。恋人募集中とのこと。9年勤務した某企業で管理者の仕事から今回初めての転職で入社。たぶんヤル男である。たぶん。

あと、パートさん2名増員。さすがは主婦の手さばき。上達が早い。

現在は、こういったとこ。まだまだ増員予定である。

 

さーーーて本題である。

 

このたび、福山市神辺事業所開設致します。

それに伴い安芸津工場改装及び機械の増設。新事務所の店舗開設。

つまりよりたくさんつくって福山へトラックで配送し、そこから発進するのである。まずは。

福山市からの募集もたくさん来ておりありがたいかぎり。

次なる目標は、まずそれを安定させ、その後、工場の設立を手掛ける。

オノベーカリー神辺支店の責任者として、候補も出てきています。それを目指して是非競争して頂きたい。競争無くして上達なし。

今のスタッフがこの会社を成長させるのです。

成せば成る。成さねば成らぬ。成コーポレーション。

さーーーーて   やるぞ!みんな!

 

 

 

 

 

 

 


報告

2011年2月11日23:03:24

 永らくブログを休んでおりました。申し訳ありませんでした。

 久しぶりに自分のブログを見ていると、なんだか初心に戻れて、晴れて、これからもがんばろーなんて思えて、久しぶりにブログを更新する気になってしまいました。

 もう少しで5年になります。順調になんとかやってます。と父にも報告したくて。

 突っ走ってここまでとりあえず。よくここまでこんな私についてきたスタッフ感謝。感謝。

 じゃが、まだまだ。

 

 つぎなるは!

 

 私の中で固まりつつある次なる展開。今のスタッフと共に、又、出会うであろう新しいスタッフと共に。

 オノベーカリーの歴史をこのブログに綴っていくつもりで。興味ある方と共感できたら嬉しいです。 又会いましょう。

 

 

 


修業編 変化

2010年1月21日23:37:39

 前回のつづき

 一か月経過する頃には、足や腰の筋肉痛は無くなり、不思議な事に毎日同じ事を繰り返していると、しんどい事も、辛い事も、慣れるんですよね。すべてに。

 三か月経過した頃には、作業スピードにも慣れてきて、スピードが付いてくると自分に余裕が生まれてくる。余裕が生まれると、作業しながら次の作業の流れを頭で描けるようになる。自分の事で精いっぱいだったのが、作業をしながら全体の流れが今どうなのか、どうすべきなのか、どうしたらもっと効率よく出来ないか考えるようになる。そうすると、自然とみんなに指示するようになっていた。自然と分からない事があれば相談を受けるようになっていた。

 気持ちの変化とでもいいましょうか?たいへんだ!辛い!しんどい!という思いから、考え方を変えた時、しんどいけど、あそこまでやれば確実に終わるんだ!と仕事帰りにふと思った時、体の力がスーと抜けた気がして、次の日から突然のスピードアップ。特に主任がびっくりしてた。自分でもびっくりしたのを良く覚えています。

 それからの上達が速かった。毎日が楽しかった。休憩も自分のペースで出来るようになっていた。

 すべては気持ちの持ち方だと思う。いかに自分に余裕をつけてやれるか。人間自分に余裕がないと何に対しても自信が持てない。今の私に全てに対して余裕があるとは思いませんが、課題が分かっていると、乗り越えようと努力できる。たとえ乗り越えられた事があっても、また更なる課題が発生する。それでいいと思う。

 半年過ぎた頃、主任が転勤となり、後任に私にという話がきましたが、それは辞退しました。新しい責任者の補助として引き受けました。その頃から独立に向け準備に入っていきました。

 ほんと厳しい主任で、職人気質な人で、パンについて何たるかを教えてくれた恩師です。ある時には、ある小学校の講演会に一緒に出席し、子供たちに夢について熱く語ったり、ある時には、お祭りのテキヤに紛れて休日返上でパンを売ったり、たくさんもの経験をさせていただいた。残念な事に今は退職されて、永らく連絡をとっていない。しかし製造スタイルは今も引き継いでいる。

 それから実質8カ月の修業を終え新規オープンに向けた準備に入っていきました。

 つづきはまた今度。ありがとうございます。

 

 

 


修業編3

2010年1月7日23:54:19

 前回つづき

 久しぶりにブログを書きます。ここ暫く何かとバタバタしております。何の話をしていたのか分からないくらいでブログを自分で確認するとこから入りました。

 修業期間中は、とにかく必死でやろうとするんだけど、手が慣れないし、立ち仕事に慣れないから足は痛いしで、最初の三か月間は、何してもダメダメ状態でしたね。

 その店は、大学から近い事もあってアルバイトの大学生が多く、主任と社員一人以外ほとんど大学生。バレーやってる子が多かったから、それこそ部活の延長って感じで、思ってたイメージとかなり違ってた。

 その時の主任が私と同級生で、その主任中心によくまとまった雰囲気でした。当時の私は、すべてが初めてで、優しく指導を受けたのは、最初の1日だけ。2日目からは、「昨日教えたでしょ、ちゃんとやってくださいよ」当然出来る訳なく、「なにしょん?それじゃだめじゃ」「頭あんまりよくないし、向いてないんじゃないの」等など。

 深夜1時からスタートし、7時頃アルバイトの子達が帰り、そろそろ休憩でご飯食べれるかなーと思いきや、鉄板掃除が始まり、8時頃新たなパートのおばさん達がずらずらと出勤してきて、そのまま12時迄、そろそろ終了かなーと思いきや、それからお店で、焼きたてカレーパンを出すから、お店の外で旗振りを頼まれ、3時迄。飲まず食わずで14時間。最初の頃は、もう注意されっぱなし。ほんと泣きそうなくらいが2~3カ月間。

 甘かった。絶対辞められなかった。辞めたら全てが無くなる。死ぬに等しかった。

 銀行辞める前の自分は、支店でいったら中堅どころで、先輩もいれば後輩もいる状況。大卒の新人に厳しく指導なりしていた自分が、今、社会にも出ていない大学生に日々ダメだしされている現状。覚悟はしていたけど、その場に立つと無性に悔しくて、今までのすべてのプライドをすてるか、何処かに収めとかないととても耐えがたい日々。精神的には、そこが辛かった。

 でも、この人達が、パンを教えてくれている。

 そう思うことで、自分の精神をつなぎとめていた。

 まず、みんなに認められよう。甘い気持ちで来てないことを示すことで、自分の居場所を見つけよう。そこから始まりました。

 つづきは、また今度。ありがとうございました。

 

 

 


修業編2

2009年12月10日23:09:32

 前回のつづき

 例えば、生地が捏ね上がった時点を、人間でいう母体から生まれ出た子供と想定する。この時から生地は、イースト菌が含まれる事により、呼吸を開始しはじめます。

 生まれ出た子供を保育器に入れる様に、生地は、乾燥を防ぐ為、密封状態にして、一時発酵にかける。この時生地に含まれるガスをしっかり膨らませてやることにより、元気をつけてやれます。

 又、人間の平熱が36℃とすると、生地の平熱は、26℃とされ(生地の種類によってさまざま)、捏ね上がり時点の温度で確認する。人間が38℃熱があると、しんどくて、ぐったりしますよね。生地も28℃あると、のびた様に、だれた生地になる。又、この時発酵も早いから、迅速な対応が求められる。30℃近くになることもあれば、24℃しか上がらない時もある。このような時は、元気が無いので、いつもより長めに発酵させたり、温度の高めな場所で密封して休ませる。

 つまり、人間がみんな人格、性格が違うように、どんな熟練された人が生地を捏ねても、毎回生地の温度も違えば、生地の状態も微妙に違う。計量さえ間違えて無ければ、失敗も正解もないということです。

 赤ちゃんが、何を望んでいるのか、何が不満なのか、親が見てやるように、生地を捏ねた人が、生地がどのようにされたいのか、生地と会話が出来るようになった時、捏ねの醍醐味が堪能できる筈である。

 教科書には無い、現場だからこそがそこには存在し、自信をもって送り出したお客様のもとえ、その時まるで、娘をお嫁に出すかの様な思いでパンを送り出す感覚を知った時、パン屋としてこの上ない至福である。

 今日もあなたの為に、あなたの望んだパンを、生きたパンを心をこめて送ります。

 次回から又、修業編のつづきです。木曜日更新予定です。

 


修行編 

2009年12月3日23:34:40

 前回のつづき

 不思議と辞表を出してから、悩みから解き放たれたかのように、体が軽くなりました。

 実を言いますと、辞表を出してから、妻以外の身内に報告したんです。変に止められて、決意が鈍るのが嫌だったから。案の定びっくりされましたけど、みんな納得してくれました。

 これから自分のすべてを賭けてこの世界に飛び込むんだという決意と、会社を辞める時にも何も言わず見守ってくれた妻、亡くなる間際迄応援してくれた父の為にも絶対成功させて見せるというやる気で溢れかえっていた。そこには、不思議と不安よりも根拠のない自信があった。

 退職後、ゆっくりする事も無く、新しい仕事に入って行きました。配属が決まる前日に社長と面談し、まず2年間修業し、それから独立を考えようと言って頂きました。

 深夜1時からのスタートということで、前日昼間寝とこうと思っても全然寝れなくて、そのまま行ったことを覚えています。そこで私の師である主任と出会いました。そこでどんだけ厳しくて、大変だった事を今ここでずらずら書いても面白くありませんので、趣向を変えてパンの製造について少しお話させて頂きます。

 まず初日、いきなり捏ねから指導を受けました。当分は、雑用のみだと思ってたからびっくりしました。でもこの世界、深夜製造するスタッフに雑用ってないんですよ。ほんと密度の濃い製造してる。ほんと職人て感じでめちゃくちゃかっこいい。

 簡単に説明すると、まず生地を捏ねる人がいて、もちろん機械で捏ねるんだけど、気温、湿度に応じて小麦粉、塩、砂糖、イースト、卵、牛乳、油脂、水等を基本レシピから微妙に調節しながら確実に素早く捏ね上げていく。それを約1時間休ませて、成形する人に生地を回す。それを魔法のような手さばきで次々と様々な形に姿を変えていく。更にそれを最終発酵させ、焼成する人が焼き上げたい大きさに膨らませる。ここでの工程が一番難しい。それを焼成し荒熱を取って仕上げする人に回す。この流れで様々なパンが出来上がっていく。

 パンをつくるうえで言えることは、すべての行為で正解が無いと言うこと。その時の状況判断でパンを育てていく。まるでそれは、子供を育てる行為にも良く似ている。

 パンは、生き物なのです。今、内のスタッフにもこの事をいった事があります。この意味が理解できた時、もっとパンが好きになれるし、好きになれれば技術も今より向上できるはずです。

 このブログを見て、パンに興味もって頂ければ嬉しいので次回、もう少しパンについてお話させて頂きたいと思います。また木曜日更新予定です。ありがとうございました。

 

 

 


父との別れ

2009年11月19日20:18:24

 前回のつづき

 悩みながら仕事をしているうち、ある日の仕事帰りに、父の見舞いに行きました。

やせ細った父が点滴を打ちながら、病室で寝ている姿を、しばらく見入っておりました。そーいえば父の顔をこんなにじっくり見たことなかったなーなんて思いながら。そのうち看護婦さんが来て点滴の様子を見に来た時起きちゃって、「おおー来とったんかー」とか言いながら、それから2時間くらいたぶん生まれて初めて二人であんなに話をした。話の中でパン屋になる話になり、父は、「やるんじゃろお?まさるが一歩踏み出すまで生きたかったのー」って涙を浮かべながら言う父をなにも言えず見ていた。

事業に失敗し、母と離婚し、癌の死亡宣告を受けながらも一人闘病生活を送る父が、息子である私に夢を託し応援してくれている。こんな凄い事ってあるでしょうか?

これから起こすであろう事業の心得等、父の遺言とも言える言葉を一つ一つ噛みしめながら頭に叩き込み、それは、きっと一生の財産として私の中で生き続ける。

そのうち、夕飯が運ばれて来た。ほとんど食べれるはずないのに、元気な姿を見せたかったのか、ほおばって食べる姿が私が見る最後の元気な姿でした。

次の日の夜遅く、病院から容態急変の連絡を受け、母を連れて病院に駆け込み、9年間離れ離れだった母の姿を見てか一旦持ち直したかに見えましたが、一週間後亡くなりました。最期を看取る時、最後の男と男の約束を交わしながら。「おやじの意志は俺が引き継ぐから安心しろ」と。 しばらくして会社に辞表を提出しました。

つづきはまた今度見て下さい。来週の木曜日更新予定です。 次回から修行編です。

 

 


出会い

2009年11月5日18:58:33

 前回のつづき

 どのようにしてパンの技術を身につけよう?今までパンなんて作ったこともない。やはりパン屋で修行しなくては。

と思いながら仕事していたから、ちゃんと仕事できてなかったと思う。今まで世話になった先輩や上司、同僚、後輩にだけそのことを話した。

上司は、みんな反対してた。もったいないとかいって。パン屋とかいうから不思議がって、またなんで?って。ある上司は、食事に誘ってくれて一生懸命引き止めて頂いたり、ある上司は、「自分に限界を感じとんか?そうじゃなかったら残れ。ちょっと遅れをとったゆうて腐っとるだけじゃないんか?わしらでもそういう時期があったで」って、引き止めてくれた。みんな忙しいのに感謝してます。ありがとうございました。

 同僚や後輩は応援してくれる人の方が多かった。ある後輩は、「尾野さんやるんだったらついていく」といってくれて、それから二人でよく相談したり、いろいろ計画して考えてた。ほとんど仕事もせずに(笑)その頃かな、その後輩が,「尾野さんが考えとる様なパン屋があるよ」っていって、それが私が社長との出会うきっかけでした。私はそれまで全くパンに興味も無かったから、車での移動パン屋として事業展開をしている会社が既にあるとは思わず、あると知って是非、会って話をしてみたいと思いました。もちろんパンも食べてみたいと思いました。

日曜日、本社へ訪問して常務(奥さん)と話をすることが出来、後日、銀行へ1日有給休暇をもらって、営業車に同乗させてもらい1日体験させて頂きました。

それから何日かして連絡を頂き、日曜日再度訪問して社長と面談が叶いました。

パンの技術を身につけ何が何でも独立したい、給料はいらないので修行させてほしい旨を伝え、聞けば社長も設計の仕事から脱サラしているとの事で、応援したいからと快く快諾して頂き、「給料は出すから、やってみんさい。その代わり独立希望だから厳しいで!」って言って頂きました。

でも、それからが1番悩みました。13年勤務した会社を辞めて、全てをリセットして、新しい会社に飛び込んでというのが・・・・それから約半年間。

つづきはまた今度。また見て下さい。来週木曜日更新予定です。

 

 

 

 


パンとの出会い

2009年10月29日16:51:25

 前回のつづき

 丁度そのころ、今は亡き父が末期がんと闘病中で、見舞いに行ったとき、ポロっと、「辞めて、なんか商売でも、しょっかのお!?」っていったら、すごく賛成してくれて、以前、家が米屋と餅屋だったからか、そのとき父がこう言ってた。「やっと分かったんか、サラリーマンしよっても、トップにはなれんのんで、一生、人に使われて終わりよう。男なら勝負してみいや!」って。悩んで重たかった自分の心が、半分軽くなったのを今でも覚えてる。

 それからと言うもの、仕事に対してなんか中途半端で、そんな自分が嫌で、「よし辞めてなんかしよう 」って心の中で決めた。

 じゃあ何しよう?普通やりたいことがあって辞めようとするんでしょうにね。このときなんでもよかった。自分が社長でするんなら。不安よりなんとかなるとゆう変な自信があった。

 銀行辞めてからだと意外と何にもない。宅建の資格とか、中小企業診断士の資格でもあればその道があったかもしれないけど、銀行業務の資格や、生保の資格は、銀行辞めると同時に資格を失う。するとしたら、なにかをつくって、それが喜ばれて、それが商売になるものがよかった。

 又、父が餅屋をしていた事もあってか、志半ばで商売やめ、余命を宣告されながらも頑張っている父の意志を受け継ぐ意味でも、食べ物屋というのが頭にあり、美味しさはもちろん健康志向にも重きを置くもの、春夏秋冬1年通して勝負できるもの、手作りでアイデアが豊富に出せるもの、ご飯にも出来れば、おやつにもなるもの、お子様からお年寄り迄愛されるもの・・・・・パン屋でした。

 パン屋といっても、焼きたての手作りパンを店頭販売するだけではなくて、銀行員が、営業訪問するように、積極的にアグレッシブに顧客に働きかける販売スタイルは、この時すでに私の中で出来上がっていました。問題は、パンがつくれるか?

 つづきは、また来週木曜日更新予定です。見てくれた人ありがとう。