プロフィール

オノ ベーカリー

≫ 詳細プロフィール

最近の記事

進むべき道 (05/01)

新体制 製造編 そして (01/09)

新体制 (10/04)

それから一年後そして今後 (04/23)

近況報告 (07/25)

記事テーマ

日記 (0)

お得な情報 (0)

製品・サービス情報 (0)

修行編 

2009年12月3日23:34:40

 前回のつづき

 不思議と辞表を出してから、悩みから解き放たれたかのように、体が軽くなりました。

 実を言いますと、辞表を出してから、妻以外の身内に報告したんです。変に止められて、決意が鈍るのが嫌だったから。案の定びっくりされましたけど、みんな納得してくれました。

 これから自分のすべてを賭けてこの世界に飛び込むんだという決意と、会社を辞める時にも何も言わず見守ってくれた妻、亡くなる間際迄応援してくれた父の為にも絶対成功させて見せるというやる気で溢れかえっていた。そこには、不思議と不安よりも根拠のない自信があった。

 退職後、ゆっくりする事も無く、新しい仕事に入って行きました。配属が決まる前日に社長と面談し、まず2年間修業し、それから独立を考えようと言って頂きました。

 深夜1時からのスタートということで、前日昼間寝とこうと思っても全然寝れなくて、そのまま行ったことを覚えています。そこで私の師である主任と出会いました。そこでどんだけ厳しくて、大変だった事を今ここでずらずら書いても面白くありませんので、趣向を変えてパンの製造について少しお話させて頂きます。

 まず初日、いきなり捏ねから指導を受けました。当分は、雑用のみだと思ってたからびっくりしました。でもこの世界、深夜製造するスタッフに雑用ってないんですよ。ほんと密度の濃い製造してる。ほんと職人て感じでめちゃくちゃかっこいい。

 簡単に説明すると、まず生地を捏ねる人がいて、もちろん機械で捏ねるんだけど、気温、湿度に応じて小麦粉、塩、砂糖、イースト、卵、牛乳、油脂、水等を基本レシピから微妙に調節しながら確実に素早く捏ね上げていく。それを約1時間休ませて、成形する人に生地を回す。それを魔法のような手さばきで次々と様々な形に姿を変えていく。更にそれを最終発酵させ、焼成する人が焼き上げたい大きさに膨らませる。ここでの工程が一番難しい。それを焼成し荒熱を取って仕上げする人に回す。この流れで様々なパンが出来上がっていく。

 パンをつくるうえで言えることは、すべての行為で正解が無いと言うこと。その時の状況判断でパンを育てていく。まるでそれは、子供を育てる行為にも良く似ている。

 パンは、生き物なのです。今、内のスタッフにもこの事をいった事があります。この意味が理解できた時、もっとパンが好きになれるし、好きになれれば技術も今より向上できるはずです。

 このブログを見て、パンに興味もって頂ければ嬉しいので次回、もう少しパンについてお話させて頂きたいと思います。また木曜日更新予定です。ありがとうございました。

 

 

 


父との別れ

2009年11月19日20:18:24

 前回のつづき

 悩みながら仕事をしているうち、ある日の仕事帰りに、父の見舞いに行きました。

やせ細った父が点滴を打ちながら、病室で寝ている姿を、しばらく見入っておりました。そーいえば父の顔をこんなにじっくり見たことなかったなーなんて思いながら。そのうち看護婦さんが来て点滴の様子を見に来た時起きちゃって、「おおー来とったんかー」とか言いながら、それから2時間くらいたぶん生まれて初めて二人であんなに話をした。話の中でパン屋になる話になり、父は、「やるんじゃろお?まさるが一歩踏み出すまで生きたかったのー」って涙を浮かべながら言う父をなにも言えず見ていた。

事業に失敗し、母と離婚し、癌の死亡宣告を受けながらも一人闘病生活を送る父が、息子である私に夢を託し応援してくれている。こんな凄い事ってあるでしょうか?

これから起こすであろう事業の心得等、父の遺言とも言える言葉を一つ一つ噛みしめながら頭に叩き込み、それは、きっと一生の財産として私の中で生き続ける。

そのうち、夕飯が運ばれて来た。ほとんど食べれるはずないのに、元気な姿を見せたかったのか、ほおばって食べる姿が私が見る最後の元気な姿でした。

次の日の夜遅く、病院から容態急変の連絡を受け、母を連れて病院に駆け込み、9年間離れ離れだった母の姿を見てか一旦持ち直したかに見えましたが、一週間後亡くなりました。最期を看取る時、最後の男と男の約束を交わしながら。「おやじの意志は俺が引き継ぐから安心しろ」と。 しばらくして会社に辞表を提出しました。

つづきはまた今度見て下さい。来週の木曜日更新予定です。 次回から修行編です。

 

 


出会い

2009年11月5日18:58:33

 前回のつづき

 どのようにしてパンの技術を身につけよう?今までパンなんて作ったこともない。やはりパン屋で修行しなくては。

と思いながら仕事していたから、ちゃんと仕事できてなかったと思う。今まで世話になった先輩や上司、同僚、後輩にだけそのことを話した。

上司は、みんな反対してた。もったいないとかいって。パン屋とかいうから不思議がって、またなんで?って。ある上司は、食事に誘ってくれて一生懸命引き止めて頂いたり、ある上司は、「自分に限界を感じとんか?そうじゃなかったら残れ。ちょっと遅れをとったゆうて腐っとるだけじゃないんか?わしらでもそういう時期があったで」って、引き止めてくれた。みんな忙しいのに感謝してます。ありがとうございました。

 同僚や後輩は応援してくれる人の方が多かった。ある後輩は、「尾野さんやるんだったらついていく」といってくれて、それから二人でよく相談したり、いろいろ計画して考えてた。ほとんど仕事もせずに(笑)その頃かな、その後輩が,「尾野さんが考えとる様なパン屋があるよ」っていって、それが私が社長との出会うきっかけでした。私はそれまで全くパンに興味も無かったから、車での移動パン屋として事業展開をしている会社が既にあるとは思わず、あると知って是非、会って話をしてみたいと思いました。もちろんパンも食べてみたいと思いました。

日曜日、本社へ訪問して常務(奥さん)と話をすることが出来、後日、銀行へ1日有給休暇をもらって、営業車に同乗させてもらい1日体験させて頂きました。

それから何日かして連絡を頂き、日曜日再度訪問して社長と面談が叶いました。

パンの技術を身につけ何が何でも独立したい、給料はいらないので修行させてほしい旨を伝え、聞けば社長も設計の仕事から脱サラしているとの事で、応援したいからと快く快諾して頂き、「給料は出すから、やってみんさい。その代わり独立希望だから厳しいで!」って言って頂きました。

でも、それからが1番悩みました。13年勤務した会社を辞めて、全てをリセットして、新しい会社に飛び込んでというのが・・・・それから約半年間。

つづきはまた今度。また見て下さい。来週木曜日更新予定です。

 

 

 

 


パンとの出会い

2009年10月29日16:51:25

 前回のつづき

 丁度そのころ、今は亡き父が末期がんと闘病中で、見舞いに行ったとき、ポロっと、「辞めて、なんか商売でも、しょっかのお!?」っていったら、すごく賛成してくれて、以前、家が米屋と餅屋だったからか、そのとき父がこう言ってた。「やっと分かったんか、サラリーマンしよっても、トップにはなれんのんで、一生、人に使われて終わりよう。男なら勝負してみいや!」って。悩んで重たかった自分の心が、半分軽くなったのを今でも覚えてる。

 それからと言うもの、仕事に対してなんか中途半端で、そんな自分が嫌で、「よし辞めてなんかしよう 」って心の中で決めた。

 じゃあ何しよう?普通やりたいことがあって辞めようとするんでしょうにね。このときなんでもよかった。自分が社長でするんなら。不安よりなんとかなるとゆう変な自信があった。

 銀行辞めてからだと意外と何にもない。宅建の資格とか、中小企業診断士の資格でもあればその道があったかもしれないけど、銀行業務の資格や、生保の資格は、銀行辞めると同時に資格を失う。するとしたら、なにかをつくって、それが喜ばれて、それが商売になるものがよかった。

 又、父が餅屋をしていた事もあってか、志半ばで商売やめ、余命を宣告されながらも頑張っている父の意志を受け継ぐ意味でも、食べ物屋というのが頭にあり、美味しさはもちろん健康志向にも重きを置くもの、春夏秋冬1年通して勝負できるもの、手作りでアイデアが豊富に出せるもの、ご飯にも出来れば、おやつにもなるもの、お子様からお年寄り迄愛されるもの・・・・・パン屋でした。

 パン屋といっても、焼きたての手作りパンを店頭販売するだけではなくて、銀行員が、営業訪問するように、積極的にアグレッシブに顧客に働きかける販売スタイルは、この時すでに私の中で出来上がっていました。問題は、パンがつくれるか?

 つづきは、また来週木曜日更新予定です。見てくれた人ありがとう。

 

 

 


初ブログ

2009年10月22日13:00:15

こんにちは、オノベーカリーです。オープンして、3年になります。やっとと言うか、もうと言うか、ほんと、たいへんだったな~って思います。

私事ですが、経歴から紹介させて頂きます。実は、4年前まで銀行員でした。商業高校卒業後、地元の金融機関に就職し、13年間お世話になりました。

自分でいうのも変ですが、結構、営業成績いい方で給料より、会社の為にっていう感じの愛社精神旺盛な熱い銀行マンでした。なのになぜ今、パン屋? 正直自分でも、いまでも思う事あります。やめた背景として、当時、出世争いに遅れをとっちゃって、こんなに頑張ってるのになんで?って。先輩や上司には、後1年辛抱しろ、腐るなよって言われたけど、ほんと腐っちゃって、ガックリきたところに、人事異動も重なって。異動後の支店長ともそりが合わなくて。そのとき思った。人が人を評価するから、されるから、不満がでるんだって。だったら、自分が一番上にいればって。会社の為にを、自分の会社の為に頑張る方が、絶対やりがいあるぞって。そこから始まりました。

つづきは、また今度。来週木曜日更新する予定です。どうか興味ある人は、また見てください。